2014年9月12日金曜日

初めから悲しい想い出

今日のこの日記のタイトルは、以前書いた、{悲しみに変わる記憶}というタイトルの日記の【記憶は悲しみ以外の何物でもない】という私が長年温めてきた言葉の意味である、どんな楽しかった記憶も振り返ると悲しみに変わっているという事とは違い、あらかじめ初めから悲しい出来事という意味で、そんな私の初めから悲しい想い出を書きたいと思います。

振り返ることかなり昔、私が高3の時の話しです。

毎日、原付やオートバイを乗り回していました。

夜中、港でスクーター鬼ごっこしたり、那覇空港に行く手前の草の生えた広い空き地で立ち乗りしてけつを左右に振って走ったり、帰り道レースしたりして遊んでいました。

そんな中いつも遊んでいる友達が全員オートバイ買って揃ったので山原に走りに行くことになりました。

山原とは沖縄本島の北部地域の辺りで、山道で高低差がありコーナーも沢山ある所です。

そこを通り、本島の最北端の辺戸岬までを走るのが定番のツーリングコースです。

みんな日曜日の朝早く、確か学校に行くよりも早い7時頃に集合して、走りに行きました。

今振り返ると、まだ全員糞ガキの集まりでただオートバイを乗り回して走らすのが楽しく、多分、全員何も考えていませんでした。

詳しく書くと危険極まりないので詳しくは書きませんが、皆、アホみたいに走り

別の日ですが道路脇のひろっぱに突っ込んでクラッシュした友達がクラッシュ直後、ピクリとも動かず皆が駆け寄ってきたら、薄目を開けて皆が心配しているのを確認後

また死んだふりして薄目を閉じたりして、それがあまりにもわざとらしかったのですぐ嘘とばれ爆笑したりしていましたが、この日は度が過ぎたのか、

今考えると案の定一人の友達が左コーナーを曲がりきれずセンターラインをはみ出し丁度走ってきた車にぶつかりました。

車のフロントから右タイヤにかけて激突し、車もオートバイも走行不能でした。

運転していた友達は車の上を飛んで確か身体中打撲でしたが無事でした。

幸い、車を運転していたおばちゃんも怪我もなくて無事でした。

当時は携帯電話も無い時代なので、離れた所の売店の公衆電話まで警察に連絡しに行かなければなりませんでしたが、

また、車に乗っていたおばちゃん達もレッカーの手配や家族などに迎えの電話をしに行きたいとの事でしたが乗れる乗り物がオートバイしかなく私がおばちゃんを後ろに乗せて別の友達と一緒に売店まで行く事になりました。

友達が事故り大変な時でこんな事を言うのはちょっとあれですが、実は当時はまだ私は童貞で彼女も居なく、なので生まれてから一度も女の子を後ろに乗せた事はありませんでした。

つまり、生まれて初めてオートバイの後ろに乗せた女の子はあの時のおばちゃんです。

私が、大好きなオートバイで生まれて初めて後ろに乗せた女の子はおばちゃんです。

(泣)。

判りやすく例えるなら初体験の相手がニューハーフだった。

位ショックでした。

この記憶は初めから悲しい想い出です。

くだらない日記を読んで頂きありがとうございました